靴に描くといふ事

靴に描くといふ事

「へぇ、絵描くんや。どんな?」

まぁ描いていると言うと十中八九言われる訳だが
そこから大体

「え、ちょ見して見して」

からの

「え?全部靴やん」

ここまでセット

今回は良く聞かれる「なんで靴に描くのか」の話

絵には役割が色々あると思っている
発信者と受信者でも異なるが
こと受信者視点では
思考にしろ、感性にしろ何かを豊かにするための役割が大きいのではないだろうか
発信する側も同様多岐に亘るだろう

では俺は何を発信したいのか

俺が絵を通じて起こしたいアクションは
誰かの今日が昨日より少しだけHappyになる手伝い
絵そのものに意味を持たせている訳ではない
なので畏れ多くもアーティストと言っていただく事が少なからずあるが
私が思うアーティストとは毛色が異なるためいささかの忍びなさを覚える

では一体なんなのかと問われるとそれもまた難しい
迂闊に横文字を使うと途端に胡散臭くなるからだ

ハイパーメディアクリエイター

ほらね

あの方はあの方で凄いのだろうが
この横文字で構成された創作肩書きの胡散臭さには如何ともしがたいものがある
一旦肩書きの話は横に置き何故靴なのかの話を進めよう

前述した通り誰かの一日を少しだけ豊かにしたい訳だが
飾る絵だと帰るまで見る事が出来ない
写真という手もあるが俺は変に「原物」に対するこだわりがあるのでこれもダメだ
自分の日常を少しだけ豊かにしてくれる絵
それを見たくなった時にいつでも見る事ができる
どうすれば・・・

あ、靴だ

目線を下せばそこにある
「あー、今日は何てついてない日だ・・・」

あ///

Kawaii♪

これだ
これを起こしたいのだ
正直柄を選んだ理由に関しては自分でもわからない
花と植物をモチーフとしたマンダラ柄だ
急にスピリチュアル要素濃いめの発言になり申し訳ないが

手がこれを選んだ

全体のバランスを見る事はあるが
下書きもしないし考えて描いている訳ではない
悪い言い方をすれば何となく描いている
だからこそアーティストと呼ばれる事に抵抗がある
彼らのように崇高なプロセスは踏んでいないからだ

とは言え発信した物が認知され、受信され
評価されて受け入れられる(拒絶される)と言う流れは変わらない

別に「世界中」とか大きな主語を使う気は無い
自分の手が、目が届く範囲だけで構わないのでこの
「小さな幸せ」
を一人でも多くの人に届けられれば本望である

肩書き?
あぁ、まぁそれも「何となく」で

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